
母の抗がん剤治療が始まってから、東京の病院へ面会に行く生活が続いていました。
母は八丈島から飛行機で東京へ。
自分は静岡から新幹線で東京へ行き、そこから山手線などを使って病院へ向かいます。
最初のころは東京の病院へ行くだけでも少し身構えていましたが、何度も繰り返しているうちに、それもだんだん当たり前になっていました。
そんなころです。
母から突然、
「相続のことなんだけど」
という話をされました。
正直、このときの自分にはまだあまり実感がありませんでした。
母は抗がん剤治療を受けていましたが、自分で飛行機を予約して八丈島から東京まで来ていました。
がんも急激に進行しているようには見えません。
だから自分の中では、
「相続の話をするんだ」
くらいの感覚でした。
ところが話を聞いてみると、自分が知らなかった家や土地のことがいくつも出てきました。
東京の病院へ通うことにも慣れてきた
母が抗がん剤治療を受けるため東京へ来るたび、自分もできるだけ病院へ行くようになっていました。
治療が週末ならそのまま行き、平日なら仕事の有休を取ります。
他の親戚と面会日が重ならないように調整することもありました。
静岡から東京まで新幹線で行き、東京に着いたら山手線などを使って病院へ向かう。
面会が終われば、また静岡へ帰る。
最初は駅で新幹線の切符を買っていましたが、何度も通うようになってからはスマートEXで予約するようになりました。
こうした移動そのものにも、すっかり慣れてきたころでした。
【ここに第6記事「抗がん剤治療のたびに東京へ面会に通った話」のブログカード】
抗がん剤治療は続いていた
母の抗がん剤治療は続いていました。
ただ、
「ものすごく効いている」
という感じでもありませんでした。
一方で、がんが急激に進行しているようにも見えませんでした。
少なくとも当時の自分には、
「もうすぐ母が亡くなる」
という感覚はありませんでした。
母自身が飛行機を予約して東京まで来ていましたし、病院で会えば体調の話や普段の世間話もします。
治療を受けて、また八丈島へ帰る。
自分も静岡へ帰る。
それがいつもの流れになっていました。
そんなとき、母から相続の話をされた
そんなあるとき、母から遺産相続について話をされました。
「相続?」
というのが最初の感覚です。
相続という言葉自体はもちろん知っています。
でも、自分の親の相続について具体的に考えたことは、それまでほとんどありませんでした。
母が亡くなった後のことなんて、まだずっと先の話のように感じていたからです。
話の中心は、大きな預金や現金ではありませんでした。
家と土地の話でした。
母が管理していた家は、もともと祖父母が住んでいた家だった
母が八丈島で管理していた建物は、もともと祖父と祖母が住んでいた家でした。
その家を母が管理していました。
そして、その裏には叔母夫婦が住んでいます。
畑のほうは叔母が管理していました。
自分の中では、
「母は家、叔母は畑」
くらいの認識でした。
それぞれ分けて引き継いでいるものだと思っていたのですが、話を聞いてみると、どうもそんなに単純ではありませんでした。
家や土地は完全に分けて相続していたわけではなかった
当時、母から聞いた範囲では、家や土地を母と叔母で完全に分けて相続しているわけではなく、二人の名義になっているものがあるという話でした。
ここで初めて、
「そういうことになっているんだ」
と知りました。
自分は子どものころから知っている家なので、当然のように「母の家」だと思っていました。
でも、
誰が管理しているのか。
誰の名義になっているのか。
誰が相続しているのか。
これは全部同じ話ではありません。
もっとも、このころの自分は相続について詳しいわけでもありません。
母から説明を聞いて、
「思っていたより複雑なんだな」
と感じた程度でした。
いとこたちも島を離れていた
叔母夫婦には子どもがいます。
自分にとってはいとこです。
ただ、いとこたちも多くは本土へ出て働いていました。
島に残っているいとこもいましたが、自分で家を持ち、少し離れたところで農業をして暮らしていました。
親族がいるからといって、全員が同じ家や土地の近くで暮らしているわけではありません。
母の話を聞いていると、祖父母の代から続いてきた家や土地と、今そこで暮らしている人たちの状況が少しずつ変わっていることが分かってきました。
さらに小笠原諸島にも土地の権利があると聞いた
そして、もう一つ驚いた話がありました。
母は小笠原諸島のある島にも、土地の権利を持っているというのです。
「小笠原にも土地があるの?」
という感じでした。
どうやら祖父が開拓者だったことに関係しているらしいのですが、このあたりは自分も詳しいことを知りませんでした。
しかも、一人で所有しているような単純な土地ではなく、何人かで分けて相続しているという話でした。
この時点では、
「そんな土地まであるのか」
ということを知っただけです。
場所も離れていますし、複数人が関係している。
どうすればいいのかなんて、まったく分かりませんでした。
後から聞くと、他の相続人も引き継ぎたがっていなかった
これはもう少し後になってからの話ですが、他の相続人にも話を聞く機会がありました。
聞いてみると、その土地を積極的に引き継ぎたいという感じではありませんでした。
管理なども面倒で、売ることも難しいらしく、できれば放棄したいという話も聞きました。
※ここでいう「放棄したい」は、当時ほかの相続人から聞いた話について書いています。法律上の相続放棄の手続きを実際に行った、という意味ではありません。
それまで自分には、
「土地を相続する=財産をもらう」
というイメージがどこかにありました。
でも実際には、土地だからといって必ず価値があって、簡単に売れて、お金になるとは限らないようです。
しかも複数人が関係しているとなれば、さらに話は複雑になります。
このころになって初めて、
「相続って、もらって終わりじゃないんだな」
と思うようになりました。
それでも、このときはまだ自分の問題という実感がなかった
今振り返れば、母が自分の死後のことを考えて話していたのだと思います。
でも、当時の自分はそこまで深く考えていませんでした。
母はまだ自分で飛行機を予約して八丈島から東京へ来ていました。
東京の病院で抗がん剤治療を受ける。
自分は静岡から新幹線に乗って会いに行く。
病院では体調について聞いたり、普通の世間話をしたりする。
そして面会が終われば、
「じゃあ、また」
という感じで帰ります。
そんな状態だったので、
「相続の話をされた=母との別れが近い」
とは、自分の中では結びついていませんでした。
親の家や土地について、自分はほとんど知らなかった
母から相続の話を聞いて初めて、自分が親の財産についてほとんど何も知らなかったことに気づきました。
自分が昔から知っている家でも、
誰の名義なのか。
土地はどうなっているのか。
ほかの親族とどのように相続しているのか。
離れた場所に別の土地がないのか。
そんなことまで考えたことはありませんでした。
「親の家なんだから、そのうち子どもが相続するんだろう」
くらいに考えていたら、実際はもっと複雑でした。
ただ、このときはまだ母も治療を続けています。
自分も、
「今すぐ何かをしなければ」
とは考えていませんでした。
母から聞いた家と土地の話が、本当に自分自身の問題になるのはもう少し後です。
このころの自分はまだ、静岡から新幹線に乗って東京の病院へ向かい、母と話をして帰る。
その生活が、もうしばらく続くものだと思っていました。

