
母の抗がん剤治療が始まってから、しばらく経ったころのことです。
いつものように東京の病院へ面会に行ったとき、母から担当してくれていた先生が転勤したと聞きました。
「先生、ほかの病院に行っちゃったんだよ」
そんな話だったと思います。
母はその先生のことを、
「とてもいい先生だった」
と話していました。
自分はその先生と直接会った記憶がありません。
ただ、もしかすると最初に母のがんについて説明してくれた先生が、その先生だったのかもしれません。
今となっては、そこははっきり覚えていません。
それでも母の話を聞いていると、その先生をかなり信頼していたことは伝わってきました。
八丈島から通う母の事情まで考えてくれていた
母は八丈島で暮らしていました。
島の病院では抗がん剤治療ができなかったため、治療のたびに東京の病院まで来なければなりません。
自分が静岡から東京へ行くのとは違い、母の場合は飛行機です。
島からの移動なので、天候の影響も受けます。
飛行機が予定どおり飛ぶとは限りません。
母の話では、その先生はそういった事情も気にしてくれていたそうです。
八丈島から通っていることを分かったうえで、治療の時期なども考慮してくれていたと聞きました。
単純に病気だけを診るのではなく、
「この患者はどうやって病院まで来ているのか」
というところまで考えてくれていたのだと思います。
遠くから治療に通う母にとって、それはかなり心強かったのではないでしょうか。
冗談を言い合える先生だったらしい
母と先生は、診察のときに冗談を言い合うこともあったそうです。
がんの治療というと、自分はもっと張り詰めた雰囲気を想像していました。
ですが、母の話を聞いていると、先生とのやり取りはそれだけではなかったようです。
治療について相談する相手でありながら、普通に話ができる相手でもあった。
毎月のように治療を続ける患者にとっては、こういう関係も大きいのだと思います。
母が、
「いい先生だった」
と言っていた理由が、少し分かった気がしました。
主治医が転勤して、母は寂しそうだった
その先生が別の病院へ転勤した。
母からそれを聞いたとき、かなり寂しそうにしていたことを覚えています。
もちろん、先生が変わったからといって治療が終わるわけではありません。
病院には次の先生がいて、治療そのものは続いていきます。
それでも、
ずっと自分の病気を診てくれていた人。
治療について相談していた人。
八丈島から通っている事情まで知ってくれていた人。
冗談を言い合えるくらいになっていた人。
そういう先生が突然いなくなるのは、患者にとって思っていた以上に大きなことなのかもしれません。
自分は患者本人ではないので、当時そこまで深く考えていませんでした。
ただ、母が寂しそうに話していた姿は今でも覚えています。
がん治療は「薬を受けるだけ」ではなかった
母の治療をそばで見るようになって、自分の中の「がん治療」のイメージも少しずつ変わっていきました。
最初は、
病院へ行く。
診察を受ける。
抗がん剤治療を受ける。
帰る。
そんなものだと思っていました。
実際には、それだけではありませんでした。
どの先生に診てもらうのか。
先生との信頼関係。
遠方からどうやって通院するのか。
仕事や予定をどう調整するのか。
そして治療や通院にかかるお金をどうするのか。
病気になると、治療そのもの以外にも考えなければならないことが増えていきます。
自分も静岡から東京へ面会に通うようになって、交通費だけでも積み重なるとかなりの金額になることを実感しました。
母の場合は、さらに八丈島から飛行機で東京まで来て治療を受けています。
病気になる前に、こうしたことまで具体的に考えたことはありませんでした。
がんになったときのお金が心配なら、元気なうちに確認しておく方法もある
母の闘病を経験して思うのは、実際に病気になってから初めて知ることが多かったということです。
自分や家族ががんになった場合、
「今入っている保険でどこまで保障されるのか」
「治療が長くなった場合はどうなるのか」
など、分からないことが出てくると思います。
がん保険について自分だけで判断するのが難しい場合は、がん保険を専門に扱う無料相談サービスもあります。
もちろん、この記事を読んだからといって保険に入る必要があるという話ではありません。
すでに十分な保障がある人もいるでしょうし、必要な保障は人によって違います。
ただ、
「自分が今どんな保障に入っているのか分からない」
「もしがんになったらお金がどうなるのか一度確認したい」
という人なら、元気なうちに確認しておく選択肢の一つだと思います。
母ががんになってから、自分はそれまで考えもしなかったことを一つずつ知ることになりました。
今になって分かる、母にとっての主治医の存在
当時の自分は、母から、
「先生が転勤しちゃった」
と聞いても、それほど大きな出来事だとは思っていませんでした。
先生が変わっても治療は続く。
そのくらいに考えていたのだと思います。
でも今振り返ると、母にとっては違ったのかもしれません。
自分の病気を知っている。
八丈島から通っていることも知っている。
飛行機の事情まで考えてくれる。
そして冗談を言い合える。
長い治療を続けていく中で、そんな先生の存在は自分が思っていた以上に大きかったのだと思います。
その先生がいなくなったときの母の寂しそうな様子を、今でも覚えています。
がん治療は薬や検査だけではありません。
患者と医師との関係もまた、長い治療を続けていくうえで大切なものだったのだと、母を見て初めて知りました。
