
2年前の5月ごろ、母から電話がありました。
電話に出ると、母から言われたのは、
「お母さん、ガンになった」
という言葉でした。
突然の話ではありました。
ただ、正直に書くと、その言葉を聞いた私は、母が期待していたような反応をしなかったと思います。
今の医療なら、がんは治療できる病気でもある。
そのときの私は、その程度に考えていました。
そしてもう一つ。
私と母は、何でも話せるような親子ではありませんでした。
母とは約30年、ほとんど会っていなかった
母は、私が高校2年生のときに離婚して家を出ました。
その後、母は実家のある八丈島へ戻りました。
それから約30年。
電話で話すことはありましたが、直接会う機会はほとんどありませんでした。
祖父の葬儀のとき。
叔母ががんで入院し、お見舞いに行ったとき。
思い返してみても、母と直接会ったのはそのくらいだったと思います。
子どものころは、夏休みになると八丈島へ遊びに行っていました。
しかし、中学生になって部活動を始めてからは、ほとんど行かなくなりました。
そのまま高校生になり、母が家を出て、それぞれ別の場所で生活するようになりました。
母からの電話が、私は嫌いだった
約30年間まったく連絡を取っていなかったわけではありません。
母から電話がかかってくることはありました。
ただ、私の方から母へ電話をすることはほとんどありませんでした。
そして正直なところ、私は母からかかってくる電話が好きではありませんでした。
電話をかけてくるとき、母はほとんど酒に酔っていたからです。
酔った母との電話を、当時の私は面倒に感じていました。
だから電話がかかってきても、積極的に話をしたいとは思っていませんでした。
ただ、これは当時から少し思っていたことでもあります。
もしかすると母は、酒に酔わなければ私に電話をかけられなかったのかもしれない。
本当のところは分かりません。
母にその理由をきちんと聞いたこともありません。
だから、これはあくまで私がそう感じているだけです。
「これから死ぬ人間にも優しくできない?」
がんになったと電話をしてきたときも、私の態度はそれまでと大きく変わらなかったのだと思います。
私としては、まだ「がん=もう助からない」とは考えていませんでした。
しかし母からすれば、息子にがんになったことを伝えたのに、ずいぶん気のない返事に聞こえたのかもしれません。
その電話で、母から言われました。
「これから死ぬ人間にも優しくできない?」
その言葉は覚えています。
それでも当時の私は、
「がんだからといって、すぐに死ぬわけではないだろう」
くらいに考えていました。
どのくらい進行しているのかも知りません。
大腸がんについて詳しい知識があったわけでもありません。
だから母と私では、その電話をしている時点で、病気に対する受け止め方がかなり違っていたのだと思います。
母は体調がおかしいことに気づいていた
電話で詳しく話を聞くと、母自身は以前から体調の変化を感じていたようでした。
自分でも「もしかしたら、そうなのではないか」と思っていた。
それでも70歳を超えていた母は、
「そうだとしても別にいい」
というような気持ちで、病院には行かなかったそうです。
しかし、いよいよ体調がすぐれなくなり、島の病院を受診しました。
そこで本土の病院を紹介され、検査入院することになりました。
そして検査の結果、大腸がんが見つかりました。
「お金のことは心配しなくていい」
離婚後、母は八丈島で介護職員として働いていました。
そのころから生命保険とがん保険にはずっと加入していたそうです。
がんになったことを話す一方で、母は、
「お金のことは心配しなくていい」
とも話していました。
介護の仕事をしていたから、自分が病気になったときのことを考えていたのか。
子どもたちに金銭的な負担をかけたくなかったのか。
当時の母が何を考えていたのか、今となっては分かりません。
分かっているのは、がんになったと伝えた電話で、母が自分のお金についても説明していたということです。
私はまだ「治るんじゃないか」と思っていた
母から「これから死ぬ人間」とまで言われても、私はまだそこまで深刻には考えていませんでした。
もちろん、心配がなかったわけではありません。
ただ、
「今の医療なら治るんじゃないか」
という気持ちの方が強かったと思います。
がんがどのくらい進行しているのか。
どんな治療をするのか。
これから母の生活がどうなるのか。
私はまだ何も知りませんでした。
7月、東京の病院へ来てほしいと言われた
母は検査入院をして、7月に検査結果と今後の治療について病院から説明を受けることになりました。
そして私にも、
「身内として来てほしい」
という話がありました。
病院は東京。
私は静岡で会社員として働いていました。
母は八丈島。
私は静岡。
そして治療を受ける病院は東京。
約30年間、ほとんど会うことのなかった母の病気について、今度は私が東京まで行って、医師から直接話を聞くことになりました。
この時点では、それがこれから約2年間続く闘病生活の始まりになるとは思っていませんでした。
「これから死ぬ人間にも優しくできない?」
あの電話で母が言った言葉の重さも、そのときの私はまだ分かっていなかったのだと思います。
次は7月。
東京の病院で、母の検査結果とこれからの治療について説明を受けることになります。
※この記事は、家族の闘病について私自身が経験したことを記録したものです。記憶に基づいて書いているため、当時の会話等について一字一句を正確に再現するものではありません。個人や医療機関を特定できる情報は掲載していません。
