母の抗がん剤治療が始まった|「それほどつらくない」と聞いて感じた副作用の個人差

闘病・入院

母の大腸がんが見つかり、東京の病院で今後の治療について説明を受けました。

がんはかなり進行していて、そのまま手術で取り除くのは難しい。

まずは抗がん剤治療を行い、がんが小さくなれば手術を検討する。

そんな方針だったと思います。

前回病院へ行ったとき、母は想像していたよりずっと元気でした。

普通に歩けるし、話していても以前とそれほど変わらない。

ただ、これから始まるのは抗がん剤治療です。

「抗がん剤はかなりつらい」

当時の私は、そんなイメージを持っていました。

「抗がん剤はつらい」と思っていた

テレビやインターネットなどで抗がん剤治療について見聞きすると、

  • 吐き気
  • 食欲不振
  • 強いだるさ
  • 脱毛

といった副作用の話をよく目にします。

そのため私も、

「母もこれからかなりつらくなるんだろうな」

と思っていました。

ところが治療が始まってから母に話を聞くと、想像していた答えとは少し違いました。

「そんなにつらくないよ」

というようなことを言っていたのです。

もちろん、まったく何もないという意味ではなかったと思います。

ただ、私が想像していたような「抗がん剤でぐったりして何もできない」という状態ではありませんでした。

弱い薬から始めているのかと思った

そこで私は勝手に、

「最初だから弱い薬から始めているのかな」

と思っていました。

いきなり強い薬を使うのではなく、身体の様子を見ながら徐々に治療していく。

そんなものなのだろうと考えていたのです。

ところが母に聞いてみると、

「一番強いのを使ってるみたいだよ」

という話でした。

「え?そうなの?」

というのが私の反応でした。

強い抗がん剤なら、それだけ副作用も強いものだと思い込んでいたからです。

実際には、抗がん剤による副作用の出方には個人差があります。

同じ治療でも症状の種類や強さは人によって異なりますし、治療内容によっても違います。

私は医療の専門家ではないので詳しいことは分かりません。

ただ、このとき初めて、

「抗がん剤=誰でも同じようにつらくなるわけではないんだな」

と実感しました。

母の場合、少なくとも治療を始めたころは、本人が「それほどつらくない」と話せる状態だったということです。

※これは母個人の治療経験について書いたものです。抗がん剤の種類や副作用には個人差があります。治療や副作用については、必ず担当の医師・医療機関にご相談ください。

夏休みになっても、私は八丈島へ行かなかった

その後、私の会社も夏休みに入りました。

母はずっと東京の病院に入院していたわけではありません。

治療のない期間は、八丈島の実家に戻って療養していました。

たしか月に1回くらいのペースで東京へ来て、抗がん剤治療を受けていたと思います。

ただ、夏の八丈島は少し事情が違います。

飛行機の予約が取りにくい。

そして天候にも左右されます。

台風などの影響で飛行機が飛ばなくなる可能性もあります。

さらに当時調べた記憶では、時期によっては航空券もかなり高額でした。

往復すれば、それなりの金額になります。

会社が夏休みなら行こうと思えば行けたはずです。

それでも私は八丈島へ行きませんでした。

「飛行機が飛ばなかったら困る」

「お金もかかる」

理由はいくつかありました。

でも今振り返ると、それだけだったのかは分かりません。

母がまだ元気だったこともあって、

「今すぐ行かなくても大丈夫だろう」

という気持ちがどこかにあったのだと思います。

9月、もう一度東京の病院へ

夏が終わり、9月。

母が治療のため東京の病院へ来るというので、私は再びお見舞いに行くことにしました。

前回は新幹線の自由席を選び、夏休みの混雑に巻き込まれて品川までほぼ立ちっぱなし。

あれは本当にきつかった。

今回は同じ失敗はしません。

ちゃんと指定席を取りました。

母の見舞いに行くのに、新幹線で体力を使い切ってどうする。

前回ようやく学習しました。

指定席という文明の利器に感謝しながら東京へ向かいます。

母は昔からデジタルが苦手だった

このころ、がんのこととは別に困っていたことがありました。

母は、とにかくデジタル機器が苦手でした。

スマートフォンに変えたのもかなり遅かったと思います。

LINEを使うようになったのも、がんが見つかる少し前くらいでした。

母は以前、介護職員として働いていました。

その職場では周囲の人たちがスマートフォンを使い、LINEなどで仕事の連絡を取っていたそうです。

当然、母にも、

「スマホにしてLINEを使ってほしい」

と言われていたようです。

ところが母はガラケーを使い続け、

「用事があるなら電話すればいい」

という考えだったようです。

今ならLINEで、

「病院着いた」

「次の治療は○日」

と送れば済みます。

でも母の場合、それだけでもなかなか大変でした。

がん保険の手続きも私に頼んできた

母は、離婚後に八丈島で介護職員として働いていたころから、生命保険やがん保険に入っていました。

がんが分かったときにも、

「保険に入っているから、お金のことはそんなに心配しなくていい」

という話をしていました。

実際に治療が始まると、当然ですが保険金などの手続きが必要になります。

入院中の母から、その手続きを頼まれたことがありました。

記憶では、

「郵便局に行って、書類を機械で読み込ませてほしい」

というような内容だったと思います。

そのとき私は、

「これ、ネットでできないのかな?」

と思いました。

ただ、当時はそこまで詳しく調べていません。

今となってはオンラインでできたのか、郵便局へ行く必要があったのかも正確には覚えていません。

ただ一つ覚えているのは、

母にとって「ネットで手続きをする」という発想自体がほとんどなかったことです。

スマホを使い慣れている人なら簡単なことでも、苦手な人にとっては大きな壁になります。

病気になると、治療以外にも保険や書類、病院との連絡など、さまざまな手続きが発生します。

離れて暮らす家族の場合、こうした部分を誰が手伝うのかも考えなければならないのだと、このころ少しずつ分かってきました。

母はまだ元気だった

この時期の母は、まだ元気でした。

抗がん剤治療を受けている。

がんは手術できないほど進行している。

文字にすると、とても重い状況です。

それでも電話で話す母は普通でした。

抗がん剤について聞いても、

「それほどつらくない」

と言う。

だから私も、どこかで安心していたのだと思います。

治療を続ければ、しばらくこの状態が続く。

もしかしたら抗がん剤が効いて、手術できるようになるかもしれない。

そんな期待もありました。

このころの私は、まだ先のことを深く考えていませんでした。

振り返ると「元気だった時間」は貴重だった

2年ほど経った今振り返ると、この時期のことはよく覚えています。

抗がん剤治療が始まったこと。

「そんなにつらくない」と聞いて意外に思ったこと。

夏休みになっても八丈島へ行かなかったこと。

9月に指定席を取って、もう一度東京へ向かったこと。

そして、スマホや保険の手続きで母に振り回されていたこと。

当時は一つ一つを、それほど特別な出来事だとは思っていませんでした。

母もまだ元気でした。

だから、

「また次がある」

と思っていたのだと思います。

病気になったからといって、毎日が急にドラマのように変わるわけではありません。

普通に電話をして、

書類のことで文句を言って、

「LINE使えばいいのに」と思って、

次の見舞いの日を考える。

そんな普通の日が続いていました。

このころの私はまだ、

その「普通」が少しずつ変わっていくことを知りませんでした。


この記事について

この記事は、家族の大腸がん治療をそばで見てきた私自身の体験を、当時の記憶をもとに書いたものです。

治療方法や抗がん剤の副作用は、病状・薬剤・体質などによって異なります。本記事は特定の治療方法を推奨したり、医学的な判断を提供したりするものではありません。

ご自身やご家族の治療については、担当医や医療機関にご確認ください。

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